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2006年09月12日
花巻まつりに逝ってキタよ!
いつもいつも「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」と日程が重なって見に行けなかった「花巻まつり」。今年は諸般の事情で定禅寺に出演しなかったので、これはいい機会だ!というわけで見に行って来ました。
いやあ、何年ぶりだろうな花巻まつりをじっくりと見に行ったのは。「じっくり」といった部分では初めてかもしれないです。
そこで、色々写真を撮って来たので、久々の更新ということもありますので(?)独断と偏見な解説を交えながらご紹介してみます。
鹿踊パレード
鹿踊ってなに?
花巻まつりのパンフレットから引用します。
鹿踊の期限は、奈良の春日大社の神事に由来するといわれ、村の平安を祈願し、悪霊を追い払う行事の舞踊化されたものといわれております。素朴さの中に高い風格を兼ね備えた民族舞踊として、県の無形民俗文化財に指定されております。
県内各地で踊られる鹿踊は、踊りの様式から大別して太鼓踊り系(県南地方)と幕踊り系(県北地方)に分けられます。太鼓踊り系には囃子がなく、太鼓中心で、3m前後の長いササラを背負い、腹に太鼓を下げ、各踊り手が唄をうたい太鼓を打ち鳴らしながら踊るのが特徴となっております。
・・・宮沢賢治の童話で「鹿踊のはじまり」っての知ってます?それのモチーフになっている民族舞踊です。装束に使ってる鹿の角はホンモノだそうですよ。
多種多様な流派があります
風流山車(ふうりゅうだし)
風流山車とは何でしょう?
これもパンフから引用しちゃいます。
花巻まつりの呼び物は、何といっても各町内から繰り出す山車にあります。その始まりは、花巻開町の祖・北松斎公の時代にさかのぼります。当初は唐竹で大きな鯨をつくり、紙を張って鍋墨を塗り、これを車に乗せて曵き歩いたとあります。その後、いつのころからか京都の「やかた」に似たものを出すようになり、明治時代にその豪華さの絶頂に達しました。この当時の屋根は高さ15メートルもあり、下からみたとき見栄えするものとするため、格段の手法を必要とし、花、山、波、人形と仕事が分かれ、祭師によって飾付け、仕上げられたのでした。この山車の前を「底抜け」と呼ばれるj舞台形式のものが先行し、囃子がこれにつき、大勢の人夫にかつがれた屋形がゆったりと練り歩いたといわれております。
屋形様式の山車も、大正の末期になり、町に電線が張られるようになってからは現在のかたちの風流山車に移行してきました。その風流山車の組み方は、活け花(生花)を基本としており、岩山の上部に桜の花を芯として人形と四季の花を飾付け、その下の周りには波(重ね波という)をつける順で、祭師によって飾付け、仕上げられるものであります。古来、花巻の祭師は格段の技能を有していたといわれ、殆ど活花の心得があって教示していたといい伝えられております。
「雅」ってのはこーゆー風情をいうんだな
やっぱし目玉はこれです。なんともいえない、アンニュイというか、1/fゆらぎというか、ゆったりとした笛+三味線+太鼓のお囃子とともに繰り出す「山車」は、まさに”雅”な感じです。
ビデオも撮影してきたので、そのうち動画もアップしたいと思います。そのうち。。<いつになるんだかw
投稿者 gon : 2006年09月12日 00:50
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